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あいち国際女性映画祭2009観客賞に投票していただいた方の中から、抽選の結果、次の15名様に次回映画祭チケット引換券をペア(2枚)でお送りいたします。おめでとうございました。

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キャメラ助手として映画界入りし、黒澤明監督作品の現場にも参加。長年にわたって最前線で活躍し続けている木村大作監督は、今回『劔岳 点の記』で初監督を務めました。映画の撮影は実際に劔岳、立山連峰で行われ、過酷なロケの末に完成され渾身作となりました。ゲストトークでは、木村監督は、観客から寄せられた多くの質問に熱く語りました。
ゲストトークでは、木村監督はマイクを使わず地声で対応。まず、その理由について、「撮影中には反対の峰の役者にも届くくらいの声を出さなきゃいけないから、これくらいの会場だと声は届くんですよ。腹にあることをそのまま話したいんです。マイクを使うとどうしても考えてしまって本音が出てこないからね。」と言及。
 映画を製作しようと思ったきっかけについて聞かれると、「僕は35mmキャメラで自分で撮影しに行くこともあるんですが、あるとき能登半島の波を撮影しに行こうと思って行ったんです。その帰りに立山連峰が見えたので35mmキャメラで撮ってみて、ちょうど持っていたこの映画の原作の『劒岳 点の記』を読んだら、正面に見えるこの山を映画に撮りたくなりました。『劒岳 点の記』の中には、ただ地図を作るためだけにも黙々と仕事をしている人たちが出てきます。それが自分が映画に対してしていることと重なって、自分の人生を当てはめたいと思いました。」と語りました。
 また、木村監督は撮影中の数々のエピソードを披露。「撮影期間は約2年間で、そのうち200日は立山連峰で過ごしました。撮影はすべて話に合わせた順序で撮りました。1カットに10日間を費やしたこともあります。自然を撮るというのはそれくらい忍耐が必要なんです。この映画は、「こだわり、集中、記憶」でできています。俳優に対しては、「これは撮影ではない、苦行なんだ。」と言っていました。撮影は普通は楽しいものですが、今回の映画ではそれは味わえないということです。最初はみんな冗談かと思っていましたが、撮影するうち理解したようです。今回の撮影ではマネージャーの同行もなしでみんなで登りましたからね。」と。
 「CGは全く使っていなかったのですか。」という客席からの質問には、「この映画ではCGは一切使っていません。映画に出てくる雪崩のシーンでは、ダイナマイトを130発埋め込んで爆発させて雪崩をおこしたんです。その2ヶ月前にも行ったんですが、そのときは雪が堅くて雪がサラサラと流れる程度だったのでもう一度挑戦しました。滑落の場面も山岳ガイドの方にお願いして実際に行いました。」と回答し、撮影に対する監督の意気込みが伝わりました。
 原作にはなかった、ラストシーンで手旗を振るシーンについては、「遠くにいても心は通じるということを表したかった。」と解説。映画で出てきた「何をしたかではなくて、何のためにしたかが大事です。」というセリフについては、「以前、高倉健さんから送られた手紙の中に綴られていた言葉であり、この言葉によって僕の方向が変わりました。他にもこの言葉を残した人はいますが、このセリフはこの映画で一番輝いていると思います。」とエピソードを披露。
 また、「山岳会の衣装がカッコ良すぎると言われることがありますが、明治、大正のころの日本は華やかで、博物館に残っている当時実際に山岳会の人が着ていた服装をそのまま再現しているんです。この映画は2年間、200日かけて作りましたが、最近の映画はテレビの二番煎じが多い。映画は見て発見するものだけど、今は分かりやすい映画がヒットする。」と最近の映画のあり方に一言。
 最後に、「ラストに登頂シーンや万歳を入れなかったのは、仕事に対する自分の思い。プロデューサーからもそのような提案があったけど、それは出来ないと断ったんです。普通だったら、撮るだけ撮っておくかとなるけど、撮ったら後でまわりから説得されるだろうと思い、絶対撮らないと決めた。」、さらに、「こんな映画は今後ももうないだろう。自分の思うままに作った、いわば壮大な自主制作映画なんです。自分が人生で見てきたことと体現したことだけで作ってある。聞いたこと、自分に当てはまらないことは一切入っていない映画。」と監督の映画哲学が、熱く語られ、歓声と拍手が会場に大きく響きました。


(河口)

 昨日、午後6時30分からの交流パーティーの席上、あいち国際女性映画祭2009の「観客賞」と「愛知県興行協会賞」が発表されました。
 ノミネート16作品のうち、みごと観客賞を獲得したのは、ディーパ・メータ監督の「とらわれの水」、興行協会賞には、宮崎信恵監督の「あした天気になる?〜発達障がいのある人たちの生活記録〜」が選ばれました。
 観客賞のメータ監督は、映画祭に来場していないため、映画祭事務局スタッフが代理で受け取り、後日、監督のメッセージがホームページで披露されるとのこと。
 興行協会賞を受賞した宮崎監督は、「皆さん、本当にありがとうございました。最初から映画祭に呼んでもらえただけでラッキーと思っていました。この賞は、年の功でもらえたのかな、一番年上になるので、これまでのご褒美ということかも。今、若い人たちが頑張っており、応援してもらいたい。」とお礼とメッセージを述べました。

(写真)左から愛知県興行協会森田理事、宮崎監督、映画祭事務局スタッフ、あいち男女共同参画財団栗本理事長

 ある夫婦の10年の軌跡を描いたこの作品は、橋口亮輔監督の6年ぶりの最新作。作品タイトルは、「自分の身の周りのこと。自分をとりまく様々な環境のこと。」という意味で、今年3月、映画館スタッフが選ぶ「第1回映画館大賞」で邦画第1位を獲得しました。

Q 作品制作にいたったいきさつは?
橋口監督 『ハッシュ』を撮っている途中から、法廷画家の映画を撮りたいと思っていて、法廷画家10名くらいに実際に取材をしてみました。法廷画家ですから、数多くの裁判に触れて何かしら自分の人生に裁判の影響を受けているだろうと思っていました。ところが、法廷画家の方が、実際には誰にも裁判のことを話さず、仕事として絵を描いてただ提出しているだけで、裁判に対して自分なりの正義感を当てはめることがないということを知って、主人公として面白いと思いました。

Q 前作『ハッシュ』までの同性愛のテーマから離れて、決して特別ではない普通の夫婦の物語にしたのはなぜだったのでしょうか?
橋口監督 ちょうど10年かかって、同性愛をテーマにした3本の映画をメジャーで作り、すべて成功を収めました。また、3作目の『ハッシュ』は、同性愛を扱ったものとしては日本で初めて賞をいただき、海外でも評価されてこのテーマについては一区切りついたと感じました。また、『ハッシュ』では30代の自分が感じたことを映画にしましたが、40代の自分にとっては「普通の夫婦」が一つの挑戦であり、あえて「絶対に別れない夫婦」を取り上げることにしました。
自分が鬱になったことが大きいと思うんですが、「人と一緒に暮らす」というのがどういうことなのかをやってみたかったんです。鬱になっているときに、思いがけない人からの救いの手があったりして、「人に絶望を与えるのも人だし、人に希望を与えるのも人なんだ」と本当に感じました。そこから、「人と一緒にいることが希望になる」ということを伝えたくて普通の夫婦なんだけど、絶対の別れない夫婦の物語をつくることにしました。

Q 主演されているリリー・フランキーさんも木村多江さんも映画初主演だったのですが、このお二人のキャスティングについては、どんないきさつがあったのでしょうか?
橋口監督 リリーさんの著作『東京タワー』をいただいていたので、話題になっていたこともあり、一度読んでみたんです。そうしたら、そこにカナオがいました。リリーさんは素人ですが、それでもリリーさんしかいないと思い、リリーさんに打診しました。それから、長い間返事を待たされたのですが、リリーさんしかいないと思っていたので何度も打診しました。最終的にはリリーさんが大きなスイカを持ってきて、「僕がカナオです。やらせてください」と言ってくれました。それから、「遅刻だけは絶対にしないで」とこんこんと説明しました。リリーさんは、2時間くらいの遅刻は当たり前なのですが、撮影のときは一度も遅刻せずに来てくれました。また、木村さんも自分の体そのものを映画に投げ出してくれるように翔子を演じてくれました。なかなかできることではないと思って、二人には本当に感謝しています。

Q 橋口監督のリハーサルが変わっているということを伺ったのですが、どのようなものですか?
橋口監督 台本の台詞をそのまま言ってもらうのではなく、設定だけあって自由にやってもらうんです。『ぐるりのこと。』では二人の30代を描いているのですが、映画が始まる寸前までをリハーサルでつくるんです。大学のキャンパスで二人が出会い、リリーさんが木村さんをナンパするんですが、木村さんは嫌がるという設定から始めてもらいました。そのリリーさんのナンパが「うちに死んだウサギがいるんだけど見に来ない?」というもので、木村さんは本気で嫌がっていました。
 また、リリーさんの浮気がばれて、浮気相手の女の子が現れるといった修羅場もやってもらいました。そうやって、二人が出会ってから10年間の時間を作っていきます。嘘の記憶でも、自分の中で残って重なっていくんですね。これが、お互いの距離感、空気を作るうえでとても大切で、自然に画面にも現れてきます。

Q 夫婦の10年の軌跡を描いた作品ですが、「93年からの」10年が描かれているのはなぜですか?
橋口監督 自分がちょうど鬱の真っ只中だったときにイラク戦争の最中で、日本人が3人人質に取られるというニュースがありましたよね。このときに日本中からものすごいバッシングがありました。彼らの行動は、確かに軽率だったかもしれないけど、そこまでバッシングする必要があるのだろうかと思いました。なぜ日本人がこんな風に変わったのかということを考えたときに、93年がターニングポイントだと思いました。
 まず、91年後半にバブルが崩壊し、その後、日本人の価値観を変えたということ。次に、宮崎勤が逮捕されて、裁判がはじまったのも93年でした。宮崎勤は日本の犯罪史も変えました。たまたま宮崎勤と同じ年なのですが、バブル崩壊以降、93年から10年の2001年には宮崎勤の死刑執行があって、いろいろな思いが重なって、ちょうど一区切りになっているんです。
(是澤)

この作品は、宮山監督がミュンヘンテレビ映画大学の卒業制作で、ドイツ映画新人奨励賞2008(撮影・音楽・編集)、2008バイエルン映画賞新人プロデューサー部門を受賞。ドイツの現地紙では主演の猪俣ユキさんの好演が、「圧倒的な存在感を持つ」と絶賛されています。作品上映後のゲストトークには主演の猪俣ユキさんと園木美夜子プロデューサーが参加し、観客からも多くの質問が寄せられました。

Q この作品の経緯について教えてください。
園木さん 宮山監督は世界でも指折りの映画学校に日本人では初めて入学し、10年勉強した後、卒業制作としてこの作品を撮りました。制作費用については、ドイツでは資金が集まったのですが、商業映画ではないため日本側では資金集めに苦労しました。また、この話は実話からインスパイアされてできたものであり、映画の中で話題になる事故も実際に起こったものなのです。

Q 主役の小野寺亜紀役に猪俣さんを選んだ理由は?
園木さん 宮山監督は目力が強くてボーイッシュで芯が強い女の子を探していました。インターネットで猪俣さんの写真を見て直接会うことになり、そこで即決したようです。

Q この仕事の話が来たとき、猪俣さんはどう思われましたか?
猪俣さん 卒業制作と聞いて、最初は自分の中に冒険と不安が入り混じっていました。しかし、脚本が商業用の作品と違って、静かで心が動かされるものがあったので、とても興味がわきました。

Q ときどき荒れたような画面があり、そこがまた美しいと感じたのですが、それは意図的ですか?
園木さん 宮山監督は16mmフィルムを使うことにこだわっていました。フィルムには独特の雰囲気があるので、ある意味で意図的と言えるかもしれません。
猪俣さん 実はフィルムが、現像の過程で紛失してしまった部分があって、そこのデータをデジタルに吸い取って、それをまたフィルムに直す作業がおこなわれたので、少し画像が荒くなってしまった部分があるんです。

Q 猪俣さんは俳優業以外にも脚本、監督業を行っておられますが、映画をつくるのと、演じる楽しさの違いはありますか?
猪俣さん 私は演じるほうから始まり、もっといろんなことを経験したくなって脚本を書いて役者仲間とデジカメで撮ったり、フィルムでショートを作って長編にも挑戦しました。演じることと映画を制作する楽しさの差についてはわかりませんが、どうバランスをとるかということにずっと考えていました。しかし、ドイツでは役者も映画を制作したり、監督も演技の勉強をしたりしていて、バランスを考えなくてもいいのではないかと、この映画に参加して学びました。

Q 宮山監督の印象、今後の活動への期待は何かありますか?
猪俣さん 宮山監督と過ごして私が感じた印象は、宮山監督はもっとも強くて美しい、スーパーウーマンみたいな女性だな、ということでした。自分と真逆だったり同じだったりすることもあり、学ぶことがいっぱいあります。
園木さん 宮山監督は次回の作品について、ドイツ人が日本に来て異文化を感じるものを表現しようとしています。今はドイツを拠点に活動していますが、今後もますますボーダレスに活動していくことと思います。

Q 最後に何か一言お願いします。
園木さん 他の国との合作作品には、ことばの壁や乗り越えなければならないことはありますが、いろんな文化が集まると100%以上の力が出てきます。私は、今、香港、アメリカと合作作品を制作しています。今後はアジアの合作の輪を広げながらみんなに楽しんでもらう力になりたいです。
猪俣さん 今回の映画を見て、商業用の映画だけではなく、静かな映画のよさもわかってもらえればうれしいです。みなさんにはぜひ映画館に行って作品を見てもらって、映画のさらなる発展に協力していただきたいです。

(河口)

 「台湾人生」は1895年(明治28年)から51年間、日本の統治下にあった台湾で日本語教育を受けた5人の台湾の人たちの人生をインタビューによって振り返りながら、台湾東部の花蓮県、台北、高雄、基隆そして日本を舞台に酒井監督が取材・撮影を行ったドキュメンタリー映画です。
 上映前、満席となった会場に拍手で迎えられた酒井監督は、「今日は朝早くからありがとうございます。映画の中で一部、おじいちゃんたちの日本語が聞き取りにくいかも知れませんが耳をすまして彼らの声を聞いてほしいです。」と舞台あいさつ。
 上映後のゲストトークでは、始めに酒井監督が、「以前から台湾の映画を見ることが好きで台湾に行ってみたいとも思っていました。そして、実際に訪れたときに流暢な日本語を話すおじいさんに話しかけられ、日本統治時の話を聞きました。台湾に興味があったので日本統治があったという知識があり、もっとお話したいと思いましたが、その時は、時間の都合上、中途半端になってしまいました。この経験と以前勤めていた新聞社での映画関係の取材を通して感じた映画制作の魅力が重なって映画を撮ろうと思い立ちました。」と制作のきっかけを語りました。
 また、ドキュメンタリーにした理由を聞かれると、「最初は物語風に制作しようと考えていましたが、取材をする中で、本人の日本語の独特なイントネーション等をダイレクトに伝えたいと思い、初期の段階でドキュメンタリーに変更しました。」と経過を説明。
 苦労した点はという質問に対しては、「撮影中の苦労はほとんどありませんでした。ですが、100時間もの映像を編集していく作業が大変で身を切られるような感じがしました。」と答えた。
 次回作については、「これからもテーマは台湾にこだわっていきたいと思っています。今回は日本語世代にスポットをあてましたが、次はこれからの台湾を担っていく若い世代について撮っていきたいと思っています。台湾は国際的に不安定な立場にあり、正式な国交を結んでいる国も20ヶ国程しかありません。しかし、台湾国内ではそうした状況に危機感や焦燥感は見られません。今後はそのような点を今の若い世代はどう感じているのか、どう考えているのかという事を聞いてみたいと思います。」と抱負を語りました。
 その後、観客からも質問が数多く寄せられ、台湾の中での歴史の認識の違いについて聞かれると、酒井監督は「世代間のギャップは日本よりも台湾のほうが激しいと思います。映画の中にも登場していた2・28事件についても詳しく知らない10代、20代は大勢います。」などと答えました。
 最後に、酒井監督は「私のアイデンティティは日本人です。今回のこの映画の取材の中で改めて自分が日本人だということを確認しました。そして、初めて日本を考えました。日本は戦争で負けたことで清算し、台湾に対してなにもしてきませんでした。この映画を見て、一人ひとりが台湾について興味を持ち、思いを馳せ台湾について考えていっていただけたらうれしいです。」と観客にメッセージを送り、大きな拍手に包まれて終了しました。

(平松)

 この作品は、知的障害者施設「サンガーデン鞍手」で暮らす人々の日々を描いたドキュメンタリー映画です。それぞれの喜びや苦悩を分かち合う仲間や職員の姿をありのままに映し出しています。上映後には、宮崎信恵監督がゲストトークに登場しました。

Q この映画を作ったきっかけはなんですか?
宮崎監督 まず、3年前に『無名の人〜石井筆子の生涯〜』で観客賞をいただき、その中で「歴史もいいけれど、今の発達障害のことを」と多くの声が寄せられたところにあります。私はとにかく青春群像を追いたかったので、全員が主人公なのだ、という思いで撮りました。また、発達障害のある人たちは特別ではない、我々と同じ水平線上にいる人だということを知ってもらいたかったからです。ですから、このような映画祭で上映できたことは、最高の収穫だと思います。

Q このテーマで撮影するにあたって最も気をつけたことは何ですか?
宮崎監督 取材をする者というのは、気をつけていてもどこか高い目線から見てしまう習性があります。それを意識して無くすことです。あとは、プライバシーの問題もありましたね。ですが、保護者の方も施設との信頼関係があったから受け入れてくれたのだと思います。このように全面的に受け入れてくれる人たちとの出会いがなかったら、この映画はできませんでした。

Q 出演されている皆さんにこの映画を見てもらった反応はどうでしたか?
宮崎監督 この映画を撮り終えて一番最初に見てほしかったのが彼らでした。感想を聞くと、「僕が出てるのが少ない」、「もっと映してほしかった」という声ばかりで、心配も吹き飛ばされてしまいました。彼らの多くは若い方です。大きなカメラ、ライトを持って行きましたが、私たちが考えている程の抵抗はなく、中にはスタッフの一人として協力してくれた方もいました。映像にフィードバックすることに対して、好感をもって見てくれたんじゃないかなと思います。

Q サンガーデンについてどのような施設だと考えていますか?
宮崎監督 このような施設は日本では数少ないと思います。ここはいつも自由で、とにかく受容することを大切にしています。将来への希望を持ち、もっと有意義になる時間を模索しながら、彼らにとっての最高の時間を受け入れています。みんなそれぞれ言葉では言っていますが、実践に移すのは難しいです。サンガーデンは馴染める関係を常に考えた、運営を工夫している施設です。

Q 今後この映画をどのように伝えてきたいですか?
宮崎監督 このような映画をどのように伝えていくかは、我々に課されたもう一つの大きなテーマであり、悩みの部分でもあります。地域の中に自主運営の実行委員会を立ち上げ、その周りに20人、30人でいいので小さいところから広がっていけばいいと思っています。

 上映中にも何度か涙を流している人たちの姿が見られました。映画に込めた思いが十分伝わったようで、宮崎監督も「これからも頑張っていきたいと思います」と力強く語りました。

(小川)

 この作品は、タイ最北端の街メーサイにあるコンティップ村についてのドキュメンタリーです。同村ではタイ少数民族のアカ族の子ども達が、創設者のイタリア人神父に支えられて、互いに助け合いタイ社会で働いていけるよう大勢で生活し、勉強しています。作品では、母をエイズで亡くし、まわりの人たち助けられて成長していく少女を中心に描かれています。
 三浦淳子監督が、上映に先立って「今日はお越しいただいてありがとうございます。この映画は2000年に初めてこの村を訪れ、その後7年間の撮影、編集を経て完成しました。子どもたちの日常の様子をゆったりとした気分で楽しんでほしい。」と舞台あいさつ。
 上映後のゲストトークでは、まず、映画の冒頭に出てきたアカ族の民族衣装を着たボランティアがステージに上がり、三浦監督がアカ族の女性は魔よけのために普段から民族衣装を身につけいることなどを説明。また、着てみた感想を聞かれたボランティアは、「見た目よりは重くないですが、耳もとで音がします。」と笑顔で答えました。
 続いて映画の話題に移り、制作のきっかけを聞かれると「最初は旅行で現地を訪れました。言葉も通じないので浮いてしまうのではないかと懸念しましたが、子どもたち始め村の人たちは話しかけたりして私の存在を気にかけてくれました。日本では自分のことしか考えていない人が多くいると思い、皆さんにこの村の雰囲気を感じてもらいたいと思い立ちました。村の神父さんには言葉も通じないのに映画が撮れるのかと驚かれました。」と語りました。
 タイでの撮影で心がけたことについて聞かれると、「日本にいるときにタイ語を週一回勉強しに通いました。私から話かけると向こうからもどんどん話しかけてくれるようになりました。撮影するときには、監督という存在を消して空気のようになり普段の表情や生活を撮るように心がけています。」と述べました。また、プライベート・ドキュメンタリーにこだわる理由について、「私自身と他者との関係でしかできない映像を撮りたいと思ったからです。他の人には出来ない自分だけの作品と作ることで自分の存在を確認したかったという理由もあります。私の個人的な感情を見てもらいそれを感じてもらえたらうれしいです。」と答えました。
 今後は、「私は映画を見ることも大好きなので、映画館で映像を見る楽しみもまた伝えていきたいです。一人から多くの人へと伝わっていくような映像を撮っていきたいです。」と抱負を語りました。
 その後、会場からのタイの経済や学校の状況、映画の中の疑問点など様々な質問が寄せられ、和やかな雰囲気の中、ゲストトークは終了しました。

(平松)

「ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1」 は、8年以上もの間、国会議事堂前の広場で反戦活動を続けているブライアン・ホウと彼のサポーターたちを追ったドキュメンタリーで、早川由美子監督が1年半をかけて撮った初作品です。2009年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)新人賞を受賞しています。
上映後の監督のゲストトークでは、映画制作のきっかけや外国での初めての映画撮影についてのエピソードなどが語られました。

Q この映画をつくることになったきっかけは何ですか?
早川監督 今から2年ちょっと前、ジャーナリズムを勉強するための留学のつもりで行ったイギリスで観光をしている途中、ブライアンに出会いました。ブライアンと彼の仲間たちの活動を知り、「なぜこのような活動ができるのだろうか」「この国はどんな国なのだろう」と疑問に思ったのが、映画を撮ることにしたきっかけです。
 もともと、日本で、休日を利用してホームレスの取材をしていて、その結果をまとめて新聞社に持ち込んだところ、ボツにされました。それで、インターネットのニュースサイトに掲載してもらったところ、サイトが“炎上”して、3分間のテレビニュースになりました。その際、テレビクルーの撮影に立ち会い、被写体の表情や顔の皺、爪の垢などの映像の持つ力に驚きました。それで、記事を書くことだけでなく映像にも興味を持つようになり、5万円程度の家庭用のビデオカメラを買ったのが映像との関わりの発端です。

Q 撮影中にたいへんだったことは何ですか?
早川監督 イギリスではアジア人に対する差別が実態としてあって、銀行の窓口で見た目で判断され、口座開設に3ヶ月も待たされた経験があります。私は、ネイティブ並みに英語はできず、背が小さいため、日常生活においてそれらのことで得することは何もないのですが、ドキュメンタリーを撮るためには役立ちました。というのも、自分が一人前として認められていない分、カメラを向けても相手が構えず、自然体で映ってくれて、まわりの協力を得やすかったということもあります。

Q ブライアンをはじめ、映画に出てくる人々みんなが心を開いて映っているのが分かりますが、彼らとの関係の築き方で気をつけたことは何かありますか?
早川監督 気をつけたことというよりも、難しかったことがあります。彼らは、自分たちの主張したいことについてはとても熱心に、歌を交えたりして陽気に話してくれるのですが、自分が撮りたい内容でも彼らにとって都合の悪いことや言いたくないことについては話してくれませんでした。その点が最後まで残り、一歩踏み込むことの難しさを感じました。

Q 撮影中の実体験として、驚いたことや感動したことがありましたか?
早川監督 最初はホームレスや平和運動をブログのネタくらいの気持ちで撮っていました。しかし、デモを撮っている時に出動した機動隊や警察に2mを飛ばされたり、10万人規模のデモが暴動化して、何人ものサポーターが逮捕されたり、日本では考えられない現場を目の当たりにしました。警察に100発殴られて1発返すくらいの応戦しかしていないのに、翌日の新聞には、デモが暴動化して、何名かが逮捕されたという記事しかなく、事実が全く変えられていると思い、マスコミの情報操作にびっくりしました。

 最後に、監督から「今後も、平和活動はもちろん、皆さんが後悔しない人生の一歩を踏み出すための勇気につながるようなドキュメンタリーを撮っていきたい。」とメッセージが送られました。

(是澤)




 「アジアの新世代女性監督からの提言」をテーマに、「今、このまままがいい」(韓国)のプ・ジヨン監督、「チベットの音調」(中国)のチャン・ルイ プロデューサー、ソウル国際女性映画祭のイ・ヘギョン ディレクターの3名がパネラーとして参加。当映画祭木全ディレクターの進行のもと、最近の関心事や各国の映画業界、女性監督の動向、映画教育などについて各パネラーが発言。
 チャン・ルイさんは、日本語であいさつした後、「民族や文化に興味があり、映画を通して文化理解、交流を促進していきたい。」と語りました。プ・ジヨン監督は「私自身が二人の子どもを育てる主婦として、資本主義社会、競争社会における現在の教育、職場のあり方に関心があります。また、これらは私の社会的な関心事でもあります。」と述べました。イ・ヘギョンさんは、「長い間、女性文化、女性運動に参加し、その活動の一環として女性の目線からの映画祭を開催し続けてきました。そうした活動を通して女性が自信を持つことが必要であり、男女の違いを生かして今後も活動していきたいです。」と語り、さらに、近年の韓国における“子ども中心社会”と言われる過度の教育投資や、若い女性の高級ブランド嗜好などについても懸念を表明しました。
 次に映画業界の動向と女性監督の地位について、チャン・ルイさんは、「国内の映画は発展しています。映画館には1、2週間に一度行きますが、チケットが買えないこともあるくらいです。国内外の作品も多いですが、私が子どものときに比べると日本の作品よりもアメリカの作品が増えていると思います。また、男女平等で、女性監督の地位は向上していて、数も多く2、3割はいます。」と発言。
 プ・ジヨン監督は、「体感的なことなのですが、以前は国からいろいろな面で援助を受けることが出来ましたが最近では少なくなったように感じています。しかし、自主制作の低予算映画が活発化していて、女性監督も増えており、商業ベースで活躍する女性監督はだいたい30名くらいいますし、女性スタッフも40%ほどになると思います。」とコメント。
 イ・ヘギョンさんも「映画産業と政治は密接な関係があり、現政府は映画に対する関心が薄く、残念に思っています。韓国にはプサン国際映画祭など多くの映画祭がありますが、近年、消えていくものもあり、映画界では“恐怖”として受け止めています。一つの希望は、最近、低予算映画であっても、数多くの国際映画祭で上映され、注目を集める作品が出てきたことです。」と述べました。
 最後に、各国の映画教育について、「中国では映画を撮るのは自由です。私自身は当時アジアで唯一といわれた北京電影学院で学びました。学部も多く監督術、表現方法、撮影、制作など映画関連のこと全てについて学ぶことができ、影響力も非常に強いです。しかし、入学への競争は激しく、試験も難しいです。」とチャン・ルイさんが語りました。
 イ・ヘギョンさんは、韓国の映画教育について、「韓国の監督には人文学、社会学などを学んだ人たちが多くいます。映画は、商業ベースの金儲けでなく、何かを考えさせる、社会を補う役割があります。映画制作に携わるにはいろいろなことを勉強する努力はもちろんのこと、テクニックやメディアに通じるることも必要です。」と発言。プ・ジヨン監督も「映画大学や専門学校は国立、民間ともにあります。映画関連の学科も多く、勉強の機会は数多くあります。このほか、映画制作に参加するチャンスとして、制作スタッフになったり、短編映画で評価を得たり、資金調達して商業的に成功するという方法もあります。」と述べました。
 コーディネーターの当映画祭木全ディレクターは、「日本では商業ベースの女性監督は6、7%に過ぎず、映画教育の環境も中国や韓国と比べ立ち遅れている。近年は、短編作品の制作者が増えてきているので、今後、こうした女性監督の支援が重要。」と指摘。
 その後、会場からの質問もいくつかあり、「家事と仕事の両立はできていますか。」という質問に対して「心の負担はありますが、母や周りの人たちにお願いして育児をしています。私は周りの人たちの支援のおかげで今仕事をしています。」とプ・ジヨン監督は笑顔で答えました。
 また、「韓国でタブーのテーマはありますか。」という質問について、イ・ヘギョンさんが、「北朝鮮を称賛するものはダメかもしれませんが、具体的にはないと思います。性的、暴力的な映画に対する基準も曖昧なところがあります。」と答えました。
 その後も、質問が後を絶たず、名残惜しい雰囲気の中、予定時間を30分近く延長し、大盛況のうちに終わりました。

(平松)

 ゲストトークには、チャン・ルイプロデューサーとヂャオ・ダーシンプロデューサーの二人が参加し、作品制作のきっかけや苦労話、チベット音楽の魅力が紹介されました。

Q この映画を作ったきっかけをお教え願えますか?
ヂャオ・ダーシンさん チベットは非常に美しくて神秘的なところです。この60年でこの街は社会的にも非常に大きな変化を遂げてきていますが、チベットは人があまり行かない、知らない場所です。そういう場所を世界の皆さんに伝えたいと思ってこの映画を作りました。

Q 撮影中に大変だったことはありますか?
チャン・ルイさん とてもたくさんあります。まず、チベットは海抜がとても高いので、高山病になる恐れがあることです。映画の最初に夢で神湖に行くシーンでは、撮影と酸素の吸入を繰り返し行いました。そしてもう一つ大変だったことは、道が曲がりくねっているので、凍結して滑ったりする危険があったことです。実際に撮影中に事故も起こりました。ですが、あれほどきれいな所なので、神様、仏様の守りがあったのか人命には至りませんでした。

Q チベットに行って、目に見えないものに導かれるようなことはありましたか?
チャン・ルイさん あります。それは、チベットを訪れる方が感じるのと同じような気持ちだと思います。映画には運命の中で決められたことだとあります。私が今日こうして名古屋に来たのも運命なのだと思います。

Q タイトルにある「ガンラメイド」は古くから伝わる曲ですか?
ヂャオ・ダーシンさん 「ガンラメイド」はチベット語で「雪蓮花」という意味です。この言葉には美しさ、忍耐力のイメージがあります。チベット人はたくさんの民謡を歌っていて、「ガンラメイド」はその素材を取って編集し直したものです。チベットで音楽は非常に重要な役割をしていて、様々な目的をもったたくさんの種類の音楽があります。この映画を見れば、チベットに関して、特に音楽については全面的な理解が得られると思います。

Q 最初のシーンで人々が絵を持ち上げていたのはお祭りですか?また、そこに出てきた白い布は何ですか?
チャン・ルイさん あれは雪頓節というチベット族の祭りで、毎年8月20日に行われています。チベット族は信じている神、仏を絵にするのが好きで、小さなものから大きなものまで色んな材料を使って描きます。上から下に巻き下ろしていくのは、1年中保管し続けるのは良くないので日に干す意味と、皆の目に触れることも大切だという意味があります。白い布は「ハダ」といって、お客さんなど相手を尊重するときに渡すものです。

Q 最後に一言お願いします。
ヂャオ・ダーシンさん 中国には56の少数民族がいて、チベット族はそのうちの一つです。それぞれの民族にはそれぞれ音楽、文化があります。この映画を見てチベットだけでなく、他の少数民族にも関心をもってもらいたいと思います。

チャン・ルイさん 機会を探して、ぜひ中国、チベットへお越しください。チベットは神秘的で気高く美しいところです。自分の中に描いた夢、そこで見た夢がきっと見られると思います。皆さんの気持ちがかないますように。

(小川)

 「エスケープ」は、難民問題を真正面から捉え、メディアの役割を問い直すカトリーネ・ヴィンヘルド監督の初長編作品。上映前に舞台あいさつでは、監督は、「私たちが人間としてお互いにどのように助け合うことができるのか。富めるものも、そうでないものも、どのようにしたら助け合うことができるのかということをこの映画を見て感じてもらえれば。」と期待を語りました。上映後のゲストトークでは、監督から作品制作のきっかけや、 モーテン・カウフマンからプロデューサーを引き受けたいきさつなどが語られました。

Q この映画を撮ろうと思ったきっかけは何だったでしょうか?
カトリーネ・ヴィンヘルド監督 『難民』という小説を読んだことがきっかけです。デンマークでは、難民を国内で受け入れるというよりは、国外へ追い出そうとする風潮がありますが、この小説を読んで、そうしたデンマーク社会を反映しているとても重要な話だと思いました。またジャーナリズムの話でもあり、女性ジャーナリストがとても重要な役割を果たしていました。

Q カトリーネ・ヴィンヘルド監督の初監督作品をプロデュースするにいたったいきさつは何だったのでしょうか?
モーテン・カウフマンさん 何よりも大事なのは馬が合ったということです。彼女とは別の仕事を以前一緒にしていて、息があったので、彼女が長編をとるときには僕がプロデュースすると約束していた。また、彼女は素晴らしいテレビシリーズを作っていたし、彼女が良い長編映画を撮ることは明らかだったので、私の決断は容易なものでした。

Q この映画を作るにあたって一番難しかったことは何ですか?
カトリーネ・ヴィンヘルド監督 私はアフガニスタンに行ったことはないので、行ったことのない国についての映画を作るということが一番難しかったし、知らないままに映画を撮るということが自分の感情からしても素直に許せるものではありませんでした。しかし、戦地に赴くということは実際不可能なことであり、アフガンの映画を見たり、GOOGLEでアフガンについて調べたりして、補いました。
モーテン・カウフマンさん 私が、彼女がアフガンに行く事を許さなかったので、非難の矛先は私にあるべきですが、私のアイデアでトルコの僻地をロケ地に選ぶことができ、アフガン人でもアフガンだと錯覚してしまうような映像が撮れました。

Q ナジール役の青年はアマチュアだと伺ったのですが…?
カトリーネ・ヴィンヘルド監督 主人公のリケを演じるイーバン・ヤイレは大女優であり、このリケにひけをとらない子が見つかるかどうかという不安はありました。オーディションで人を集め、撮影前には3ヶ月の訓練を行いました。ナジール演じるファイグ・サマニ自身、カブールで生まれ、5歳のときにイランの難民キャンプで過ごし、12歳のときにデンマークにやってきたという生い立ちを持っています。映画のストーリーが彼自身のストーリーと重なる部分が多くありました。撮影当初は、自信なさげだった彼も、この撮影が自分にとって大切な機会だという事を理解し、努力していたために、撮影後には一人前の大人になっていきました。

Q デンマークはNATO軍としてアフガンに兵を派遣していますが、そのことがデンマーク社会にどのような影響を及ぼしていますか?
カトリーネ・ヴィンヘルド監督 デンマーク人にとってもアフガン問題は、理解するのが難しいものです。アフガンでの戦争は、宗教対立による戦争ですが、デンマークではそれほど強い宗教観はないため、理解しにくいものです。またアフガンへの兵派遣も、政治的判断によるものであり、私たちには兵を派遣する意義も理解できていません。

Q 基にされた本のタイトルは「refugee」ですが、これを「escape」と変えたのはどうしてですか?
カトリーネ・ヴィンヘルド監督 二つ理由があります。一つ目は、主人公がリケという女性ジャーナリストであり、難民ではないということ。二つ目は、デンマーク人は難民問題に関わりたがらないのですが、しかしこの映画は大勢の観客の方に見てもらいたいものだからです。

(是澤)

 監督である鯨エマさんは役者活動も行う傍ら、今回の題材となっている60歳以上のアマチュア劇団「かんじゅく座」を3年前に立ち上げました。作品には、ほとんどが演劇未経験者であり様々な経験を持つ14人の劇団員が初舞台を目指し奮闘した7ヶ月間が収められています。作品上映後のゲストトークでは、監督は発声のエクササイズしたり、持ち前のキャラクターで常に楽しい雰囲気に包まれました。
 
Q 今回どうしてこのドキュメンタリーを制作しようと思ったのですか?
鯨監督 以前にも一度ドキュメンタリーを制作したことがあるのですが、「かんじゅく座」を立ち上げたときにおもしろい題材になりそうだったので、初めからカメラを入れて練習風景から撮影していました。カメラには劇団員のみなさんも意識してしまうようで、インタビューのときには緊張していました。

Q ドキュメンタリーの監督と、劇団の監督の二足のわらじは大変でしたか?  
鯨監督 ドキュメンタリーにおいて自分の立場をどうするかということが大変でした。ナレーションでは“私が”と一人称にするか、三人称にするか迷った末に、“エマさん”と呼んでもらうことにしました。カメラのテープは全部で70本以上になり捨てる部分がほとんどになってしまうのですが、劇団員の人たちとは数ヶ月の付き合いを経て愛情を感じるようになってしまって自分では切れないので、編集はプロの方にまかせました。

Q 人生の先輩である劇団の方たちへの接し方はどのようにしているのですか?
鯨監督 私自身はなるべく優しく言っているつもりなんですが、夢中になるとどうしてもストレートに言ってしまいます。演劇の用語には「ダメ出し」というものがあるのですが、それをするとみなさん叱られたと思ってしますようです。こちらとしては、“こうしたほうがもっとよくなるよ”というサジェスチョンとして言っているのですが。今の高齢者の方は元気な方が多く、“もっとやりたい!”というガッツを持っています。なので、1回の練習で1回褒め、プレッシャーも与えるというような接し方をしています。

Q ドキュメンタリーを制作する際の苦労はありましたか?
鯨監督 14人全員を撮るのは無理だと思ったので、最初は大人しい人3人くらいにしぼってその人たちが成長していくサクセスストーリーを作ろうと思っていたんです。でも、人はそんなに短期間で変わりませんし、みなさん素直すぎて映画にならないということになってしまって。そこでみなさんの家族の追加撮影も行ってドキュメンタリー制作に至りました。

Q 鯨監督は今俳優業に脚本、監督とさまざまな仕事をしていますが、今後もいろいろな活動を行う予定ですか?
鯨監督 本業は役者がいいと思っていますが、そのとき表現したいスタイルで表現すればいいのではないかと思います。「かんじゅく座」のみなさんが演劇を始めて人生の再スタートを切っているところを見ると、“もう一回がんばらなければ!”と思うことができ、最近役者への復活も果たしています。 
 劇団を立ち上げるまで私は、高齢者の方はありあまる時間を持っていて悠々自適な生活を送っていると思っていました。しかし、それは勘違いで、みなさん親の介護や体の手術、仕事に孫の世話と、大変な生活を送っていることがわかりました。その忙しい生活の中で週6時間練習に来ていただいて、来るときはこわい顔をしている方もいるのですけれど、帰るときにはスッキリとしていて、それを見るとうれしいです。これからも細く長く劇団を続けていくことを目標にします。

(河口)
9月5日(土)の交流パーティー券は完売しました。

 映画祭初日、ウィルホールでオープニング作品「今、このままがいい」が上映され、上映後はプ・ジヨン監督とユ・スンヨン プロデューサーによるゲストトークが開催されました。
 監督は、「この映画をつくったきっかけは?」という質問に対して「私自身、2つ年上の姉がいて何年か前に姉妹旅行をし、その体験をきっかけに今回の映画の「姉妹の父親探しの旅」を思いつきました。また、今回の映画のテーマは「家族」ですが韓国の伝統的な「家族」ではなくシングルマザーやシングルファザーなど現実に存在していても、認知されず守ってもらえない家族を表現したいと思いました。そのため、今回は「性同一性障害」という性少数者の問題と結びつけて現在の家族の多様性を表現しました。」と述べました。
 また、映画のなかで性同一性障害をもつ父親を演じた俳優と性転換後の叔母を演じた俳優について聞かれると、監督は「はじめに言っておきますと、父親役の俳優と叔母役の俳優は違う方です。」と笑顔で答えた後、「俳優をキャスティングするときはあまり気をつかいませんでした。叔母役の俳優はもともと、声優をしていた方で声が気に入ったので叔母役をお願いしました。父親役の俳優との違和感があってはいけないと思っていましたが、実際には違和感はほとんどなかったと思います。」と語りました。
 最後に、今後の作品について聞かれると「現在、今回とは別の映画会社と契約を結びシナリオを書き始めています。映画会社との打ち合わせや支援してくれる企業を探さなければならないので、公開はいつになるか分かりません。次の作品も、今回同様、家族についてです。次回作の家族は両親がいて子どもがいるという家族構成ですが、私自身一般的ではなく認められない家族に関心があるのでその観点から映画をつくっていきたいと思っています。」と答えました。
 また、プロデューサーは、「もう一度プ・ジヨン監督と作品をつくりたかったのですが、残念ながら出来なくなりました。次回作については、私自身が今独身ということもあってロマンティック・コメディーを制作したいと考えていて、現在シナリオを制作中です。」と述べました。
 司会者からの質問のほかに観客からもいくつかの質問があり、そのなかには女性のイメージが偏っているのではないかという指摘や有名な俳優さんの出演料は高額だったのではといった興味深い質問もありましたが、最後は会場から大きな拍手がおこり、和やかの雰囲気のなか終了しました。
(平松)


「星の国から孫ふたり〜自閉症児の贈りもの」は、槙坪夛津子監督のあいち国際女性映画祭出品3作目です。上映前の舞台あいさつには上野楓恋さん(子役)、上映後のゲストトークには原作者の門野晴子さんも参加。ゲストトークでは、自閉症児との接し方や自閉症児を支えていく社会のあり方について、意見や質問が出ました。

Q 映画制作のきっかけはなんだったのでしょうか?

槙坪監督 あいち国際女性映画祭の出品作品でもある『老親』の原作者門野晴子さんから、2005年に「こんな本を書いたの」という報告をいただきました。この本を読んでみて、びっくりしました。初めて、自閉症(オーティズム)の大変さを知りました。自閉症児は24時間多動で、本当に目が離せないんです。それにもかかわらず、「コミュニーケーションが大変なの」と楽しそうに話す門野さんを見ましたが、この映画を撮ろうとすぐに思ったわけではありません。しかし、門野さんの「映像って、映画って、すごく伝える力を持っているんだよ」という言葉から、映画にしてみたらどうなるだろうと思ったのが、この映画をつくったきっかけです。

Q 原作者の門野晴子さんに、この本を通して伝えたかったことは何でしょう?
門野さん どうしても訴えたかったことは、「早期発見、早期療育」の重要性です。早期発見、早期療育をすれば、普通の市民生活を送れるようになります。自閉症児は7〜8歳がピークなんです。以降は療育を受けていても、スローダウンなんです。成長すれば、パニックが起こりにくくなったり、コミュニケーションがある程度できるようになったりしますが、実はそれは表面だけのことです。だからこそ、早期発見、早期療育が重要になります。また、欧米では早期発見、早期療育によって子どもたちが自立して育っているという実情があるので、早ければ早いほどいいと言えます。

Q 親友の子どもがアスペルガーの診断を受けました。私がそばにいて何をしてあげられるのか知りたくてこの映画を見ました。友人はその診断でとてもショックを受けていました。

槙坪監督 映画の台詞にもありますが、「ただ愛すること、信頼してもらえるような関係を築くこと、無条件にかわいがり、愛すること」これは、誰にでもできることですが、とても難しいことです。日々、ふれあいながら伝え、かわいがりながら根気よく療育することが一番大切なことだと思います。

門野さん 私の子どもはふたりの自閉症児を抱える親ですが、だからといって泣いたことはありません。日本の親たちは、個々人の支えあいにより頑張っているので感心しますが、アメリカの状況と比較してみれば、日本での社会保障のありかたに悔しさを感じます。アメリカではただ同じバスに乗り合わせた人が、「こんなハンサムに生まれてきてくれたんだから、オーティズムくらいたいしたことないよ」といってくれるほど、社会的な意識が高いんです。 

Q 発達障害児をもつ親御さんに対する門野晴子さんからの言葉
門野さん 日本には受け皿がないので、自閉症児を育てていくのが大変だということはよく分かります。でも、子どもの前では絶対泣いちゃだめ!子どもは本当に敏感だから、なるべく笑って生きるようにしないと伝わっちゃう。親が頑張るしかない状況でつらいのは分かるけれども、必ず子どもは恩返しをしてくれ、生きがいとなってくれます。だから、とにかく笑って、見栄張って笑って生きていきましょう!

 槙坪監督は、「原作者に見られるのが一番怖い」とおっしゃっていましたが、門野さんの監督に対する「どうもお疲れ様」「いい映画をつくってくれてありがとう」という言葉から始まったゲストトーク。当事者となって苦しんでいる方もみえ、力強い槙坪監督、門野さんの言葉から、元気をいただいたゲストトークとなりました。

(是澤)

 映画祭初日の大会議室の作品は「女のみづうみ」で、吉田喜重監督と妻であり女優の岡田茉莉子さんが上映前に舞台挨拶。
 吉田監督は、「「女のみづうみ」は1964年に作った作品で、45年前のことを考えると感無量です。時代とともに忘れ去られ、このように古い作品がどう受け止められるか、不安と期待の気持ちでおります。」と今の心境を語りました。また、「この作品は、私が松竹から独立して結婚と同時に初めて作った作品で、以前から興味のあった川端康成の小説で作りました。川端さんの作品は、『雪国』に代表される光を描いた作品もありますが、原作『みづうみ』のようにその裏返しの闇の世界を描いた作品もあります。私は後者の方により興味をもったわけで、またこの分野の作品はまだ映画にはなっていなかったので挑戦しようと思いました。」と、当時を思い出しながら川端さんへの思いを込めて語りました。
 「これは今風に言うと、見知らぬ男が女を付け回すストーカーの話です。岡田には主人と不倫相手の二人の男がいるのですが、金持ちの主人に買われた岡田は不満を抱き不倫をします。一人の女性が全く違う立場の男性と関係をもっていくところが見所です。セックスは男性側から見たセックスであり、女性は対象でしかありません。女性から見たセックス、また中間にセックスを置いた男女の関係こそ、対等になるでしょう。33歳だった当時、正義について考えてほしいと考えてしまいました。」と述べ、「映画を作ったのは私ですが、結論を出すのはこれから映画を見ていただく皆さんです。皆さんがこの映画を見て、何か不思議と訴えるものを感じることこそ本当の映画のコミュニケーションなのです。」と観客へメッセージを送りました。
 岡田さんも「川端さんとは深い関係がありまして、18歳でデビューしたときの作品『舞姫』も川端さんの原作でした。中でも親切にしていただいたのは、谷崎潤一郎さんに書いていただいた亡き父の弔辞が売りに出ていたのを買い取って、私の手元に届けてくれたことです。今年ついに自伝を書き終えて10月29日に書店に並ぶことになりましたが、ここに詳しく書いてあります。」と、川端さんとの思い出について語ってくれた。そして「女のみづうみ」はとても大事な作品の一つであるとともに、30年以上も前に今でこそ問題になっているストーカーを取り上げたことは、我が夫ながら素晴らしいと思っております。」と言って観客の笑いを誘いました。
 最後に、「この作品は、きっと今見てもとてもスリリングで、ラストも面白いと思いますので満足ただけるのではなかと思います。」と岡田さんが述べると、吉田監督は「女性は大変だとか、波乱万丈だとか思われるかもしれません。今、現実ではストーカーから逃げて逃げて不幸になる話がありますが、この作品では逆にストーカーが追い詰められてしまいます。この作品は私にとっての女性映画なので、このように男性に逆襲する強い女性の姿を描いています。」と結びました。
(小川)

映画祭初日、国外初上映の韓国作品「飛べ、ペンギン」が大会議室にて上映されました。この作品は4話からなるオムニバスで、過熱する教育問題や偏見、熟年離婚など、韓国の日常で現実に起きている問題をテーマにしています。昨年公開の「私たちの生涯最高の瞬間」で2008年の観客賞を受賞したイム・スルレ監督が、韓国社会の抱えるこれらの問題を客観的に、しかし時に優しく描いています。上映後にはイム・スルレ監督、第4話に出演した俳優のチョン・ヘソンさんによるゲストトークが行われました。

Q この映画では、共感できるセリフが多いと感じましたが、どうしてでしょうか?
イム・スルレ監督 今回の映画は商業用ではなく、韓国の人権委員会からの依頼を受けて制作したものです。人権をテーマにした映画というと難しい印象を与えてしまうので、おもしろく、共感を持てるようにつくりました。私自身は結婚歴がなく子供もおらず、また両親も仲が良かったため、今回の映画で問題になっているテーマには関わりがなかったので、まわりの方から話を聞きました。また、私はベジタリアンでお酒も飲まないので、第2話の問題とは直接関わりがありました。

Q 今回チョン・ヘソンさんをキャスティングした理由は何でしょうか?
イム・スルレ監督 この映画において第4話は1番長く、重要な役割を占めています。第4話は熟年離婚をテーマに扱っていますが、老夫婦のケンカをかわいらしく撮りたいと思い、チョン・ヘソンさんはかわいらしく好感の持てる演技が出来る方だったので選ばさせてもらいました。チョン・ヘソンさんは200、300%の演技をしてくれました。

Q 今回チョン・ヘソンさんは出演料なしで映画に出演したそうですが、なぜでしょうか?
チョン・ヘソンさん 私はあと1年半で女優人生50年目を迎えます。これまで出演料をもらって様々な作品に出演しましたが、今までを振り返りなにか恩返しをしたいと考えました。そこで今回の作品のお話が来たときに、ボランティアとして参加しながら、監督、スタッフのみなさまと一緒に一つの作品を作り上げたいと思ったのです。私は近年ドラマに出演することのほうが多いのですが、映画は芸術作品であるという思いから、テレビドラマとはまた違った心積もりが必要でした。今回の出演は大変有意義に、楽しく行えました。

Q 今後はどんな活動を行いたいですか?
イム・スルレ監督 昨年制作した『私たちの生涯最高の瞬間』は商業用のものであり、今年の『飛べ、ペンギン』は人権問題を扱った作品ですが、次の作品は芸術を追求した作品を制作する予定です。また、ドキュメンタリーにも挑戦したいと考えています。
チョン・ヘソンさん 2011年で女優活動が50年目になり、今まではドラマで活躍することが多かったのですが、今後は演劇にも挑戦していきたいと思っています。「母」ということばは、もっとも素晴らしいことばであると考えられており、韓国の演劇界では「母」をテーマにした舞台が多くなってきています。私もまたそのような企画を立ち上げたいと思っています。また、今度からは、ドラマもライトタッチのものにも参加しています。

 この作品は9月6日(日)14:00よりウィルホールで再び上映されます。また、プロデューサーのナム・ギュソンさんが上映後ゲストトークに参加予定です。
(河口)
9/6(日)瀬戸会場『今、このままがいい』の前売券は完売しました。当日券についてはこちら。この作品は、ウィルあいち会場と弥富会場でも上映します。上映スケジュールはこちら
『劔岳 点の記』(日本/2009年/139分)
上映日時:9月6日(日)10:00〜
会場:4Fウィルホール
上映後にゲストトークを行います。
『星の国から孫ふたり〜「自閉症」児の贈りもの〜』原作者の門野晴子さん、子役の上野楓恋(かれん)ちゃんが来場!
(9/2 14:00上映)
『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』の早川由美子監督が、同作品で2009年度日本ジャーナリスト会議の黒田清JCJ新人賞を受賞されました。
同賞は、民衆のジャーナリストとして親しまれた故黒田清氏のご遺族らの意思により、新人ジャーナリストの育成と支援を目的として創設されたものです。
愛知県興行協会協賛特別企画「女性サービスデー」の開催が決定しました。
  女性サービスデー期間:9月2日(水)〜6日(日)

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上映日時:9月5日(土)10:00上映
  猪俣ユキさんのプロフィールはこちら
『飛べ、ペンギン』第4話の熟年離婚の妻役、チョン・ヘソンさんの来場が決定しました。
(9/2 10:00上映回)
パンフレットでお知らせしておりました「つみきのいえ」の同時上映作品が、以下のとおり決定しました。

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ゲストの情報はこちらをご覧ください。
公開タイトル『ドゥーニャとデイジー』
下のリンクをクリックすると別ウィンドウでpdfファイルが開きます.
あいち国際女性映画祭2009パンフレット(8ページ)